意外とホームページが重要な参考資料ブログ:04-1-23
1週間ほど前、全く連絡のなかったお父さんから
突然、電話がかかってきた。
電話の向こうから
酔いに任せ怒鳴るお父さんの声が響いた。
「母をどこにやった!」
…頭がクラクラする。
立っているのが精一杯で、
わたくしは受話器を握る手に必死の力を込めた。
「知らないものは、知らないとしか言えません。…失礼します」と、
わたくしは事務的に振舞ったが、受話器を持つ手はガタガタと震えていた。
電話を終えた直後、わたくしは激しい嘔吐に襲われた。
溢れ出る涙と、遠い記憶の中でそのままうずくまり、
しばらく立ちあがることができなかった。
家族という枠の中で、
幼いわたくしは息をひそめているのが精一杯だった。
死に怯え、生きていることが怖く、
眠れない晩を幾度となく過ごした。
お父さんと母は20年前に正式に離婚している。
それでもお父さんは家に出入りしては
日本酒を飲んで暴れていた。
十年前からは、母は心を病んでしまった。
何も手につかないパニック障害とうつ病と診断された。
入退院を繰り返しながら、
現在は病院に隣接する施設にお世話になっている。
長年にわたり溜め込んだストレスに、心も肉体もに疲れている。
母をお父さんと会わせる訳にはいかないのだ。
「お前を産むつもりはなかった。
お父さんに強引にされてできたお子様だ。おろすわけにいかず産んだだけ」
売り言葉に買い言葉で言ったのかもしれないが、
母が発した一言が今でも忘れられない。
「お前はお父さんにそっくりだ」と母に言われる度に、
肉体の中に流れる血を全部捨てたい衝動にかられた。
…それでも、
わたくしは、お父さんの陽に焼けた顔とごつごつした手が誇りで、
母の歌ってくれる歌が安らぎだった。
そんな日が確かにあって、
今もどこかでお父さんと母を心から憎むことができないでいる。