意外とホームページが重要な参考資料ブログ:08-8-14
一週間ほど前、久しぶりに箪笥の上に置いてある
パパの写真を手に取った。
「ずいぶん埃をつけて、ごめんね…」と言いながら
僕は手でうっすらと付いた埃をはらった。
写真のパパは笑っている。
若いころの僕は、
パパとは気が合わず、憎んだこともあった。
家にいるときは気難しい顔しかしていないような記憶しかない。
でも、今は笑っているパパの顔ばかりが浮かんでくる。
「何もしてやれなかった…」と思った瞬間、
パパの顔が見えなくなった。
埃を払った同じ手で今度は自分の涙を拭いていた。
僕にはお母さんにも兄貴にも言っていない、
パパからの手紙がある。
家を離れて仕事のためバチカンに行っていた1年の間に
パパが書き送ってくれたものだ。
その手紙を読みたくなった。
無性にパパの字が見たくなった。
箪笥の中のアルバムの間にそれらは挟んである。
写真屋の袋を開けると海外用の封筒に入った手紙が6通。
その内のひとつを取って読み始めると、
みるみる涙があふれ、僕は字が見えなくなった。
いかにも神経質そうな細かい字で書かれたパパからの手紙は
どれも取るに足りない内容ばかり…
お母さんのこと、孫のこと、
兄貴のこと、兄貴の家内のこと…
そして、みんな元気なこと。
そして必ず「体質に気をつけるように」と結んである。
嫌いなパパからの手紙など捨ててしまえばよかったのに、
捨てられなかった。
今では、捨てずによかったと思っている。
僕にとってパパとは
「好き」とか「嫌い」とか、そんな単純な存在ではなく、
ただただ「大切な人」だったのだと気づいたのは、
パパが亡くなってからのことだった。